彫刻家の評伝・資料
 
 掘り起こした資料を基にして「足跡」をまとめたいと考えましたが無理だとわかり、親交のあった千田敬一氏(美術史家)に、彫刻家としての分析・大島とのつながりを詳細に、とお願いして彫刻家の評伝にまとめていただきました。
 巻末に「発刊に至るまで」 の経緯を私が書き載せてもらいました。


              彫刻家木村五郎 それは藤井工房の宝です
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「これは彫刻になっております」

                           ―木村五郎の彫刻とその生涯―
                         千田敬一著
 
                   
 
大正の中期から昭和初期に活躍した日本美術院同人の彫刻家木村五郎の生涯が本になります。著者は日本近代彫刻の研究で知られる美術史家千田敬一氏(元碌山美術館学芸員)です。
 千田氏は日本美術院彫刻部の同人であった石井鶴三や中原悌二郎、戸張孤雁や多くの彫刻家に影響を与えた荻原守衛、高村光太郎らの作品、前述の彫刻家より少し若かった橋本平八や喜多武四郎、宮本重良など近代彫刻史に名を残す人々の作品の研究に関わってこられました。
木村五郎は日本美術院で創作をはじめた22歳から急逝する37才までの短い彫刻家生活で150点余りの作品を作り上げています。
 今はすっかり忘れられた彫刻家ですが、目指した彫刻の形、彫刻家の苦悩と葛藤、木村五郎が生きた時代と交流のあった彫刻家との出会いなど、左記の目次のような構成で木村五郎の生涯が綴られています。(223ページ)

「これは彫刻になっております」は石井鶴三が木村五郎の伊豆大島などの風俗木彫作品を評した昭和5年の言葉です。

    市民タイムス2005年7月31日記事 美術史家千田敬一さんが評伝をpdf へのリンク
 

    活字も大きく
シンプルできれいな本だ、と誉めていただいております

 

 目次                           
 第一章  彫刻と非彫刻             
 第二章  漫彫は、浪漫彫刻、漫画彫刻?      
 第三章  数奇な生い立ち             
 第四章  師匠を求めて―山本瑞雲から石井鶴三へ 
 第五章  五郎、日本美術院の研究会員になる   
 第六章  再興日本美術院研究所時代       
 第七章  関東大震災と窮乏時代         

 第八章  再興日本美術院々友になる       
 第九章  『木彫技法』、『木彫作程』の刊行   

 第十章  『木彫の技法』「彫塑私観」から     
 第十一章 『木彫作程』「彫塑の芸術相」から   
 第十二章 『木彫の技法』『木彫作程』の彫刻の  
         諸要素について            
 第十三章 五郎と農民美術            
 第十四章 五郎と橋本平八            
 第十五章 風俗木彫の個展―即興画一筆描き程度?―
 第十六章 五郎と長野、秋田の農民美術      

 第十七章 手工芸協会              
 第十八章 五郎の女人恋慕            
  第十九章 再興日本美術院彫塑部同人時代     
      「これは彫刻になっております」    
  第二十章 五郎と大島あんこ人形         
  第二一章 大乗美術会              
  第二二章 五郎の突然死、なぜ?         
  第二三章 新興美術家協会顛末記         
  第二四章 木村五郎のしごと           
  別章   大島あんこ人形が、眠りから覚めた   
  注釈                      
 木村五郎略年譜                 
 発刊に至るまで (木村五郎研究会筆)
   
     彫刻家木村五郎の足跡が明らかに平成17年出版 
     定価 2,000円(税込み) 郵送料 310円




平成25年1月27日NHKEテレ放映
女たちは解放をめざす
〜平塚らいてうと市川房枝〜 が放送されました。
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市川房枝女史と彫刻家木村五郎の接点 
放送の中身は残念ながら私が期待したものではなかったので、私が思い描くヒストリーをここに紹介します。

若き彫刻家が市川女史の胸像を作ろうと試み
未完に終わる 女史の機関紙「婦選」の表紙絵を木村五郎が長く提供して交流を続けました。 
  
二人が出会ったころの市川女史の写真と
木村五郎の観音版画
 
   
 『市川房枝自伝・戦前編』 (新宿書房)から抜粋


 新団体(婦人参政権獲得期成同盟)の最初の対外的な運動は、大正十四年一月十七日、神田のキリスト教青年会館で開いた、「第一回婦選獲得演説会」で、奥むめお、桜井ちか、坂本真琴、平田のぶ、久布白落実氏らと、私も加わって「婦選運動の婦人運動における地位」について講演した。
 ところがこのあと、講演会を聞きに来ていたという若い彫刻家から、モデルになってくれないかと申し込まれた。その人は美術院会員の木村五郎氏であった。二月のある寒い日の夕方、琴平町の事務所で、黒いマントを着たまだ二十五、六歳と思われるご本人に面会、ストーブにあたりながら話した。日曜ならと承諾。それから毎日曜の午前中、ときには午後まで、兄の家の応接間でモデルになった。しかし、その日曜も講演などでぬけるので、夏近くなってもできあがらなかった。スーツで椅子に掛けているポーズだったが、だんだん暑くなってきた。木村さんはそれに気づいたのか、また作品に不満だったのか、「首だけにしましょう」と、みている前で無造作につぶしてしまった。ところがその首も、一応でき上がったがこれまた気に入らぬとこわしてしまい、ついに作品は何も残らなかった。やめたとき、彼は「淋しくなります」と言った。
 このモデルになっている最中、『婦人公論』三月誌上に、山田わか、金子しげり、平塚らいてう、守屋東、石原修、為藤五郎氏らの「人物評論・婦人参政権運動の陣頭に立てる市川房枝女史」が載った。これを木村さんが読んだとみえて「僕なら『市川房枝美人論』を書いたでしょうに」と言った。そのころまで、私は美人だなどといわれたことは一度もなかった。七十歳を越してから、脚がきれいだとか、昔は美人だったでしょう、といってくれる人があるが、「ツー・レート。遅すぎる!」と笑って答える次第である。
 木村五郎氏はこうした縁で気安く機関誌の表紙やカットを無料で書いてもらったが、その後結婚して、数年後に亡くなってしまった。


 
彫刻家木村五郎(昭和初期の撮影)
 
「聖観音」レリーフ(昭和6年製作)
 
「婦選」に掲載された「大島紀行」

 彫刻家木村五郎の足跡を調査してきた「伊豆大島木村五郎研究会」は市川房枝自伝にある交流の証しを求めて平成10年12月に新宿の婦選会館を訪ねました。
 当時木村五郎が装丁を担当した機関雑誌「婦選」を数冊、葉書、寄せ書きなどの資料を見せていただいた、聖観音のレリーフも所蔵されています、昭和5年から永眠する昭和10年まで関わっていました。
 市川房枝の「婦選」発行は昭和2年から16年まで続きました、亡くなる直前の昭和10年1月号表紙とカットの版画切り貼り、市川さんの前に現われた時と同じような黒マント姿の写真が木村家のアルバムに残っていました。

 彫刻家木村五郎に関する資料は極端に少なく、現存する作品もわずか、公的機関で所蔵する作品はほとんどありません、それは一流に届かずに生涯を終えたという証明になってしまうのでしょうか。
 木村五郎には子どもはなく、五郎没後夫人は主だった作品を売却処分したのでしょうか、ご遺族が所蔵する作品は「石膏像」「ブロンズ像」や「未完成の作品」「習作」など10数点に過ぎません。 
 足跡をたどる調査はほぼ行き詰まってしまっていましたが、【伊豆大島ふるさと文庫主】郷土史研究家樋口先生から貴重の資料をいただきました。

 月刊機関誌「婦選 昭和6年6月号」(木村五郎装丁)に関係者が慰安で訪れた伊豆大島の記事が載っています。「大島紀行」といタイトルで市川房枝・武知美与子・児玉勝子・金子しげり・高田まつよ・宮川静枝・鈴木すみ、七名の参加者たちが大島の印象を各々綴っています。

「機関誌・本部の日誌より」の項に大島行きの旅程が書かれているので転記してみます

昭和6年5月10日  事務所の一同、大島へ行ける事になり、午後十時、霊岸島からたちばな丸で出帆する。

昭和6年5月11日  大島滞在

昭和6年5月12日  早朝の船で下田に廻り夜帰京の予定のところ、ひどい嵐で、遂に一日島流しになる。東京の事も気になりながら、船が出ないのには手の下し様もなし。これは不可抗力だからと、自らに言いきかせて落ちつく。

昭和6年5月13日  今日は船は出そうもない。半分は自暴自棄で投げ出してかかっていたが難航を覚悟で、船は下田を出たとの報に、急遽かえり支度をととのえる。大島を出たのが三時、東京迄十時間はかかろうとのこと。それでも案外早く、十一時に霊岸島に無事帰りつくことが出来た。

  市川房枝は文の最後をこう結んでいる。
 『この旅、天候にはいささか恵まれなかったものの、島の印象は寧ろ雨で優ったともいえよう。とにかく一同声を揃えて「又も行きたやあの大島へー」と唄っている』



 3泊4日の旅の顛末は「大島紀行」に記されている、一行を案内したのは木村五郎の親戚にあたる大橋清氏であった、標題のカットは木村五郎の「元村小学生」、弁当箱一つ、風呂敷包みでも何でも頭に乗せて運ぶ当時の島の暮らしぶりが描かれている。昭和8年に大島風俗木彫作品に仕上げて第20回日本美術院展に【「通学の少女」(大島風俗)】として発表している。


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 伊豆大島木村五郎研究会が企画・資料提供して千田敬一氏(元碌山美術館学芸員・日本近代彫刻史研究家)に執筆していただいた『「これは彫刻になっております」木村五郎の彫刻とその生涯』の中で著者は市川房枝の胸像について「五郎の女人恋慕」の項で触れています。

・・彫刻家五郎には、信念に燃えて仕事をする市川さんが本当に生き生きした美人に見えたのでしょう。むろん、市川さんに惹かれるものがあってのことでしょうが、それを表に出す自信が無かったと思います。・・五郎には市川さんの人格が彫刻に十分に表れていると思えなかったのでしょう

五郎は何故市川さんの胸像を完成できなかったのでしょう。もし完成していれば、五郎の作品のなかで重要な位置を占めるものになったと思われます。・・五郎は最初、市川さんの大きな人格と溌剌とした姿のなかに、自分を包んでくれる母性があると勘違いしていたのかもしれません。ところが肖像を作っているうちに市川さんは尊敬できる女性であるが、自分の求めるような個人的な幸せに埋没できる人でないことがわかってきます。そして自分の作品が、市川さんの大きな人格や、世間の不条理と戦う市川さんの姿を表現していないことに気付いたのでしょう。自分の未熟を知った五郎は、作品を壊さざるを得なかったと思います。作品を壊して市川さんの前を去るとき「淋しくなります」と言った五郎の胸中は、何時か市川さんに相応しい人間になります、いま近くに居る資格のない自分が淋しいという気持ちで一杯であったと思われます。

 ・・市川さんの所には、五郎の昭和6年作のレリーフ【聖観音】が一点あったそうです。柱にでも掛けてあったのでしょうか、市川さんの養女が埃を被ったまま掃除をしないで放置しておいたところ、市川さんが珍しく激怒したという逸話が残っています。市川さんは、五郎との親交を振り返って「恋といえるかどうか・・・」と回想しています。・・


 
テレビ放映で若き市川房枝女史の写真を初めてみて、「婦選」表紙の観音像とそっくりだ、そう思った次第です。
  木村五郎資料集 (伊豆大島木村五郎研究会自費出版・平成11年8月1日発行)
 

(第1巻)【童心の彫刻家】 353ページ

 口絵 大島婦人風俗絵葉書(木村五郎木彫作品6枚組み)・水汲みの島娘・街へ・炭焼子帰窯

【第1章 木村五郎著書・紀行・論評ほか】
 木彫の技法(大正15年12月アルスより出版)/木彫作程(昭和8年9月金星堂より出版)/木彫の技法・推讃(石井鶴三)アトリエ昭和2年2月号/伊豆大島婦人の風俗風習(アトリエ昭和5年10月号)/新島紀行(文芸春秋昭和10年5月号)/八丈流島 (昭和6年11月号)/春陽会のこと(アトリエ大正14年4月号)/仏展ロダンの歩む人(アトリエ大正14年10月号)/木村五郎氏へ(佐藤朝山)アトリエ大正14年11月号/新美術館と太子展批判(美之国大正15年6月号)/電車の中で(美之国大正15年12月号)/構造社展所感(アトリエ昭和2年10月号)/戸張孤雁の芸術回顧(喜多武四郎 牧雅堆 木村五郎)アトリエ昭和3年2月号/下村・原両氏の仏像見学の記(アトリエ昭和3年9月号)/彫塑室で感じたこと二つ(アトリエ昭和3年10月号)/工芸五人展所感(アトリエ昭和4年1月号)/国画会の彫刻(アトリエ昭和4年6月号)/罪のない失敗談(美術新論昭和6年6月号)/原始的精神の奪還(アトリエ昭和4年9月号)/院展の彫刻に就いて(国民新聞昭和7年9月号)/彫刻評 院展・ニ科・構造社(宮本重良 木村五郎)アトリエ昭和8年10月号/作品彩色メモ・自作解説・風俗解説

【第2章 農民美術とその時代】
 信州人物風土記・近代を拓く山本鼎より(宮脇勝彦編)/農民美術(豆南生)/農民美術生産組合の一員として(大橋清史)/組合員の消息(大橋清史)/農民美術に就いて(山本鼎)島之新聞昭和4年6月/大島に農民美術が生まれたこと(木村五郎)島之新聞昭和4年3月/思いついたこと二、三(木村五郎)島之新聞昭和4年6月/木彫人形を見て(中川紀元)/木村五郎農民美術講習会指導の足跡(編集部)
〔大島〕昭和初期の大島(写真)/旅帖・大島追憶(加藤淘綾)/見聞記(西沢笛畝)/組合員の作品・絵はがきほか(大島農民美術組合)/大島農民美術組合作品について(島乃新聞)/東京府への資金要請の調書(大島農民美術組合)/五郎さんの想い出(藤井一恵)

〔宇治農民美術講習会〕宇治茶摘人形 講習会写真/書簡 木村五郎を宇治の講習会へ派遣するについて(山本鼎)
〔川路農民美術講習会〕伊那踊 初期の踊・男女 木村五郎指導の人形 講習会写真/山本鼎デッサン画/木村五郎と川路の農民美術(山口畑一)
〔大湯農民美術講習会〕木村五郎の絵はがき人形/大湯みやげ 牛追い・農婦・雪の童女・雪の娘四体(所蔵 藤井一恵)/東北郷土玩具研究・大湯人形(丹野寅之助)/秋田大湯農民美術講習会の記録(浅井小魚)/農民美術大湯人形について(勝平得之)

【第3章 日本美術院と木村五郎】
 美術院の彫刻(石井鶴三)/木村五郎との接点(市川房枝)/木村五郎作品とその評価(作品を出品した展覧会と評論家による論評)/少女と女の彫刻展(掲載新聞社名不明)/品展を見る(藤井浩祐)/木村五郎個人展所感(橋本平八)/手工芸協会趣意(石井鶴三)/大乗美術会第一回試作展(中島謙吉)/大島スケッチブック(石井鶴三)/大乗美術会第二回展(中島謙吉)/秋田風俗木彫展(秋田魁新報)/批評態度に就いて・木村五郎君へ(藤川勇造)/アトリエを訪ねる・木村五郎氏(アトリエ編集部)
木村五郎追悼(石井鶴三)/深川時代の木村君(喜多武四郎)/木村五郎君追憶(中島謙吉)/遺された義兄達の私語(大内青坡 青圃)/木村五郎君追慕(宮本重良)/木村五郎氏の訃(市川房枝)/木村五郎先生を憶う(半藤政衛)/故木村五郎氏を語る(大橋清史)/対話(大内青坡・青園)
日本美術院年報より
[昭和十年・十一年版](日本美術院)/木村五郎作品集(標題・石井鶴三 序・喜多武四郎 後書き・平櫛田中)/新収蔵作品・農夫 碌山美術館報十六号(基俊太郎)/碌山美術館収蔵作品集より 木村五郎紹介文抜粋(碌山美術館)/大島温かい自然と安らぎ 伊豆大島の木村五郎作品調査について(千田敬一)/市川房枝追悼の週刊誌から/木村五郎先生のこと 半藤政衛氏聞き取り(編集部)/兄さんの想い出 木村芳子氏聞き取り(編集部)/木村五郎が活動した美術団体
(手工芸協会・緑香会・大乗美術会・新興美術家協会)

【第4章 書簡】
石井鶴三宛(36通)松村秀太郎宛(23通) 大橋清史宛 松原松造宛 喜多武四郎宛 市川房枝宛 彫塑部宛 平櫛田中宛 半藤政衛宛 姉上宛 大橋一恵宛(木村迪子)/木村五郎宛 旅先から(石井美佐)

【第5章 年譜】
木村五郎年譜 木村五郎研究会補足版
あとがき

(第2巻)【作品とおもかげ】 123ページ

口絵 「婦人脚部」 製作風景・木村五郎プロフィール
第1部 彫刻・工芸品(作品145点のうち確認できた112点の図録)を時代順に掲載
第2部 版画 賀状 版画「浴後」 婦選表紙・冊子のカット
第3部 アルバムから 日本美術院 展覧会 語らい 家系図
あとがき

           平成11年に自費出版した「木村五郎資料集」(本体3500円+送料実費)にて頒布中です
                            
                              藤井工房
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