彫刻家木村五郎紀行記
 島人に東京から来た彫刻家がはじめて講習会を開いて伝授してくれたのが昭和4年です。その彫刻家は日本美術院彫刻部同人として活躍していた木村五郎でした。
 すっかり大島が気に入り、昭和5年の伊豆大島独特の婦人の風俗・風習を紀行記にまとめて美術雑誌に載せています。

                  木村五郎は 大島の宝です

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 彫刻作品集  大島紀行記   木村五郎
評伝と資料
 
 
 《伊豆大島婦人の風俗・風習》 「アトリエ」昭和5年9月号
 
 「大島婦人の風俗と風習と容貌、体格は芸術的感興又は土俗学的興味を惹くに充分です。近年都会文化の浸潤につれて、漸次失われつつあるは止むを得ぬ事ですが、然し未だ猶昔乍らの郷土的特性を多分に残しています。東京へ海上三十六里に比して、東京へその距離3倍もあろうところの八丈島がかえって都会風であるのは可笑しい位です。
 先ず、地形から言えば大体楕円形の薩摩芋形をなし、東西直径2里半、北東五里、周囲約10里という東京市よりも小さい太平洋上のほんの小天地です。
 凡て島人の思想信仰の中心となっているところの火山三原山が島の中央に位置して、その裾野を回った海岸に、泉津、岡田、元村、野増、差木地、波浮の6ケ村の部落が形成されています、このような小さな島内にあっても、各々風俗乃至容貌、気風なども少しずつ異なっているのは面白いと思います。


 うち比較的中央に位する元村が島の文化の中枢をなしている訳、したがってこの記述も元村を大体の基準とせねばなりませぬ。
 ここの婦人達はものの持ち運びは凡てそれを頭上にして歩きます。その耐重力は凡そ米一俵とされていますが、よく浜辺などで自分の身長ほども高く積み重ねた薪を悠々船に積み込む労働をみることがあります。時としては余りにも不均り合いな、手にもってもよさそうな、と思われるほどの小さな風呂敷包み一つさえ之を載せて歩きます。
 可憐な少女は又お使いのお豆腐を頭上にして歩いています。髪をお下げにした小学校の女性がなお写生の画用紙と画嚢を頭にして5、6人一隊をなしてやってきます。
 服装は至極簡易、素朴、然も洗練されているんです。多く紺絣の筒袖に毛繻子で縁をとった三布の前垂掛け、帯を用いずに前垂の紐を巾広く之をきりりッと2巻きになし帯の兼用とします。素より日本の帯の美しさは世界に自慢し得るものの一つと思うが、又帯を用いない大島婦人の露に溢れた健康感と服装の郷土的特異性にはきつい魅了と原始への憧れを感じない訳にはゆかないのです。常春の島では夏季を除いて殆ど襦袢に袷一枚、前垂掛け、頭上に物を載せて歩く場合、腰で左右に調子をとる、そのかっちりと丸味をもった腰の量感。一体に重量を頭にするため体格は強健にして猶情致をもっています。それも近来漸く文化の普及と共に落ちてゆくのは遺憾なことです。
 又、時に綺麗な襷を十字に綾どります。一体が筒袖ですから之は実用よりも装飾の意味が多い。従って山仕事、畑仕事の労働よりも他人と共になす多く人目に触るる仕事、例えば祝儀、弔儀に際しての手伝いとか乃至は浜辺での薪積のような場合に。けれども野増村の婦人以外には平常他で見ることは少ない。現今ではその素材概してメリンスですが、古くは美しい色とりどりの縮緬を3つほどに接いで之に絹房を垂らした如き極めて艶麗なものだったのです。私もその美しいのを1本もらってありますが、それを数多く所有するを自慢となしたり、嫁入りの引出物とされたり、蓋し襷の島の女性の情緒が配せられる点、ここの婦人とよく対照される京都大原女にも之に似た風習があるのは面白いと思います。
 結髪は島特有の既婚者はいんぼんじり巻となし、それに手拭を巻き髷で押えとします。いんぼんじり巻は東京で謂ういぼじり巻と同語ではないかと思われますが、畢竟東京の丸髷と同じ妻君のシンボルです。
 未婚者はもと矢張島特有の投げ島田に結んだのですが、岡田村以外では之を結ぶもの少なく、今ではいんぼんじり風の簡単な束ね方が多くなりました。この投げ島田は所謂島田髷のずっと原始的のものかと考えられます。東京博物館の埴輪の内に島田髷風の婦人像のあるのをみてもこの髷の原形は遥か古代からのものであったようです。
髪に巻く布地は昔そうめん絞りという木綿縮の紺地に白の模様を抜いた独得のそれを用いたのですが、近頃は老婆又は所謂よそゆきの折に之をみるばかり、多く手拭を巻いています。然し又手拭といえども古いもの汚れたものを何より恥としている清潔な、健康な若い彼女達には明るいナイーブなよき調和をなしています。猶又手拭は寝る時以外には決してとりません。特にそうめん絞りは昨年、聖上行幸の折、御前に於てもお許しを得た、と島では自慢の一つにしています。又、或いは風の冷たい日に前垂れを調子よく被って歩いているのをみることがあります。あたかも武装の感じで、事実山の繁みに入り込んで仕事をなす場合にもこうされて顔に傷を受けるのを防ぐでしょう。乃至は肥料桶の如き汚物を頭上にする場合にもこうされましょう。

 履物は殆ど自製の藁草履、如何なる労働にも之を履き、全然草鞋を知りません。形は履けば踵が出るほどに丈短く、鼻緒に至っては廃物の布を利用して仲々綺麗なものです。土地が砂地故、少しの雨降りでも之を履いて歩行しています。
 前述した如く6ッ村各々その風習、容貌、気質などを多少づつ異にし、各々その特長を持っているのですが、就中岡田村の婦人に至ってはよく昔乍らのそれを保持し、眉目美しく、純朴なうちに或る種の気品をさえ湛えているのは特異とするところです。その容貌藤原型に似て眼細く情味をもって、頬は毬のように豊かな丸まり方をなし、潮焼はありましょうが、肌共に美しく滑らかです。で、ここの娘達こそ今なお房々とした頭髪を島特有の投げ島田に束ねています。
 差木地、波浮の婦人の容貌も又大いなる特長を表示していて、一見あのひとは差木地だ、と断定でき得る程のようです。岡田村とは宛ら反対の感じ、極端な典型人としては顴骨と下顎骨が以上に隆起発達していて、若し辺をつくるならば稍々六角形をなし、骨太ながっしりした感じを持っています。元村は島の中心地であるだけ一番雑種であり、私にはその特長なるものを具体的に指示することは困難です。
 凡そ島の娘達は各村とも全然脂粉の類を用いません。勿論一世一代の嫁入りにもそうです。序に島娘の総称をあんこと呼んでいます。
 大島は火山噴出の溶岩の類をもって組成されている島です故、水の湧出乏しく、用水には実に不自由をしています。各村極く僅かな井戸の朝な夕なここへ島の娘達が桶を頭上に支えて水汲みに通います。その娘達の紛々と交錯をなした水汲みの情景は島の一つの名物でしたが、それもだんだん見られなくなりました。と、いうのは今はたいていの家にコンクリート造りの地中タンクを備え屋根よりの雨水を樋に導き、それを貯水して井戸と同じ様工夫に之を使うようになりました。あたしゃ大島雨水育ち、腹に孑孑は絶えやせぬ、というとぼけた大島節があるくらいです。但し之は雨水を天水瓶で貯めた昔のこと、現今の地中タンクの水はずっと清澄で味も水道のそれに似ています。
 元村には湯屋が2軒あって、各備え付けのタンクの水が不足を告ぐる場合、労働婦人であるところの島娘に水の運搬をさせます。水桶を頭上にした3、4人の一隊は海辺の井戸から湯屋へ、急勾配の坂道さえ姿勢正しく悠々と列をなして登ってゆく、この行列も又一つの奇観でなくてはなりません。その距離約一丁半、賃銀1桶1銭5厘、一日凡75回乃至80回ほどできると聞いています。
 島の婦人には全く叩頭(おじぎ)の礼がありません。之は私には極めて奇異の発見で、近頃となえている虚礼廃止論の見地からゆけば寧ろ進歩ではないでしょうかーーいや島には進歩と言えばいわるる事柄を多くもっています。産児制限、息子の結婚後の別居等々――神社、寺院への参詣すら実にあっさりとしていて叩頭祈願の婦人をみたことがありません。
 島の婦人を妻君にして、島にもう永居住している親戚であり、友人であるひとのその家を久しぶりで訪ねるにも私は黙って入って黙って帰ってきます。私のようなしちめんどくさい挨拶のできぬ野人には気が楽です。お互いの好意は容子態度で解るものです。婦人間の知己同志、路上で会えばドホエイッタヨー(何処へ行ったか)と言葉を交わすか、全然表情をもって軽い挨拶とします。私は思うに頭上に物を支える習慣から頭を下げるおじぎが生まれなかったのではないかと頭上にものを支えては顔を動かすことができない、眼を働かせます。それ故私達には若い娘達のその眸からながしめのような情味を感じます。

その他書きたいことは結婚式奇風、葬式異風、建築様式、大島節のこと、舞踊のこと、言語のこと等、等沢山ありますが、今は紙数に余白もなく、表題の範疇外でもありましょうから次の機会とします。猶あんなに億劫に思われた大島へは近来汽船は大きくなり、且つ日航となり、いつでも夜10時頃京橋霊岸島を発てば翌日ほのぼのと夜の明けかかりに島に着く程、凡てが気軽に行けるようになった事を付記しておきます。」
                                               

     

木村五郎絵葉書 「伊豆大島風俗集  島の娘八題」より 昭和12年版
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