紀行記の資料

 露語翻訳家の鈴木明氏が和訳自費出版したブルリューク著「大島」に関する資料です

        大島ゆかりの画家の作品 それは大島の宝です

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 @ロシア語で書かれた「大島」の翻訳本(訳者鈴木明自費出版)のあとがき  鈴木明

 A翻訳本「大島」の発刊に寄せて 木村五郎・農民美術資料館(木村五郎研究会) 藤井虎雄
 
 B美術運動史研究会ニュースNO59号 翻訳者紹介から抜粋



 @「大島」訳者あとがき  

 私が、文芸作品のようなものを翻訳することになるとは、思ってもいませんでした。ロシア語の翻訳を生業(なりわい)にしているとはいえ、工業技術関係が普段の仕事だからです。しかし、大島の方たちに大変お世話になったことが、この本を翻訳するきっかけになりました(私の叔父、木村五郎の資料館を、藤井虎雄氏は私財をなげうってまで大島元町に建てて下さったのです)。
 
 本書で「ビロードのズボンをはいた画家」と自称しているブルリュークは、1920年、大竹博吉(ロシア語書籍専門店「ナウカ」の創業者)氏らの協力を得てウラジオストックから来日しました。日本各地で絵画展を開催した後、23年に離日、アメリカへ移住しています。大島へは来日わずか1ヶ月後に渡っていますが、その動機は明らかではありません。ブルリューク、38歳のときでした。ソ連邦が生れる1927年の革命当時、彼は著名な詩人マヤコフスキー等とロシア各地で新しい思想の啓蒙活動をおこなっています。しかし渡米したため、その後ソ連で高く評価されることはなかったようです。新生ロシアになってから、ブルリュークの再評価がおこなわれ、日本でもこれまでに2回、小樽と西宮で展覧会が開かれました。
 ブルリュークについては、コージェヴニコワ著、三浦みどり訳「ブブノワさんというひと」に、こんな評があります。
 「・・ブルリュークは・・(日本で)個展も開き、そのカタログには「国際的に有名な詩人、現代の天才的画家、ロシア未来派の父」と自らを称していた。自信家で、人目をひく身なりをしているブルリュークは、そのうえ常識をはずれた作品の作者であり、病的までに自尊心が強く、自分の作品の展示位置が展示室の出口に近かったりすれば、おそろしく機嫌が悪くなったという。日本の美術研究家によれば、ブルリュークは日本に初めてリノリウム版画を紹介し、その意味で日本の美術界に功績を残しているが、彼の作品は好評を得られず、やがて、ニューヨークへ去っていった・・」
 「未来派の画家」、パリモフも、ブルリュークと共にウラジオストックから来日しました。パリモフは当時32歳でした。
 本書のもう一人の登場人物、「仕官殿」が誰なのかは、不明です。

 「オーシマ」と題するロシア人画家の著作があることが大島から私に伝えられたのは、昨年秋のことで、これがサンクトペテルブルグの国立ロシア美術館に稀覯本として保管されていることも判明しました。そこで同市在住のイェージェレワ・リューバさんにお願いしたところ、そのコピーを入手することが出来ました。この本の刊行あたっては、ナウカ社の宮本立江さんのご尽力を得ました。翻訳では、藻利佳彦氏からプーシキンの資料を頂き、伊藤亀雄氏からは数々の御教示を頂きました。校正は日高里里さんにお願いしました。
 皆さん、有り難うございました。
                              2001年7月 鈴木 明



 A発刊に寄せて   伊豆大島 木村五郎・農民美術資料館長 藤井虎雄

 「大成したければ大島を描け」を合言葉に、伊豆大島には明治後期から昭和のはじめにかけて多くの
芸術家が訪れました。大島を題材とした作品の研究者(大島在住)から、画家の中に「未来派の父」と呼ばれたロシアのブルリュークがいて、油絵と紀行文を残していること、数年前にはウクライナから「大島の作品」について調査に見えた、という話を聞きました。
 我々木村五郎研究会は、伊豆大島を愛し、あんこ人形彫刻を伝授した彫刻家「木村五郎」の資料を掘り起こし、平成11年に木村五郎資料集を発行しました。木村五郎は昭和2年から昭和10年急逝するまでに九回大島にやって来て、農民美術講習会の講師をしたり、あんこ姿のスケッチを重ね、大島婦人風俗作品を日本美術院展に出品していました。
 次のテーマとして、研究会全員の関心事であった「大島を描いた画家たち」の調査に力を注いできました。当然ながら、大正9年突然来島したロシア人が関心を示した島の風景や暮らしぶり、どんな絵を描いたのか、どんな紀行記なのか,何とか見たいと思っていました。
 ブルリュークの作品が都内の画廊に飾られていること、紀行文はロシアの美術館に収蔵されていること、近年日本で展覧会が行なわれたこと、すべての吉報は露語翻訳家の鈴木明さんから大島にもたらされました。
 大島の風景画や印象記への興味は勿論ですが,いろんな偶然と巡り合わせが重なり、木村五郎の甥っ子、五郎さんともっとも血のつながりが濃い鈴木明さんの手によって翻訳されて活字となることが,何より我々には嬉しいことです。こんな風景の中を木村五郎も歩いていたのでしょう。
 大正時代の大島が、都会っ子の訳者の熱意により蘇りました。異国人が描いた「おおしま」は、きっと大島の貴重な文化財産として語り継がれて行くと信じています。



 美術運動史研究会ニュースNO59号 (2003.2.20)翻訳者紹介から抜粋

 B翻訳書紹介:ブルリューク著『大島』と『富士登山』

 ・・和訳者は工業技術関係のロシア語翻訳を成業とされている鈴木明氏である。出版は殊勝なことに、いずれも鈴木氏の自費出版だ。はじめに『大島』が出版された経緯からはじめよう。
  まずこの本の訳者である鈴木氏は、農民美術運動の彫刻家だった木村五郎の甥にあたる方である。彫刻家の叔父は昭和初期にしばしば伊豆大島を訪れ、農民美術講習会を開催したり、あんこ(娘)のスケッチするなどした。現在大島には、土地にゆかりの深いこの木村五郎の研究会や農民美術資料館がある。『大島』の翻訳出版は、研究会のメンバーの方や資料館々長の藤井虎雄氏らの意向にこたえるかたちで鈴木氏が行ったもので、「ブルリューク」「大島」「木村五郎」「研究会と資料館」「木村五郎の甥でロシア語翻訳者鈴木氏」という、偶然のようなまことの、幸運な回路がつながって実現したものなのだ。
 ・・この紀行文から感じるのは、ブルリュークが大島の自然や風習、旅館の女性たちの振る舞いや表情、旅行者や住民の性格や習慣などを鋭い感性で細かく観察し、それらを通じて、実に客観的に日本の印象を刻みつけているということである。そこには否定でも辟易でもない、およそ文化も生活様式も自然も歴史も全く違う異国から遣って来た他者が感じる、当然の異質感や距離感が表わされている。不可解な疑問が投げ掛けられてもいる。しかし、ブルリュークは、この紀行文を、事実の描写に続けて鮮烈で詩的な言語による表現を挿入することで、温度のある、イメージの奥行きと広がりを持った紀行文に仕上げている。
                            
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